ことしの夏、猛暑の日の午後である。
　街を歩いていて、筆者は頭がくらくらしてきた。
「このままでは、熱中症で倒れるかもしれない」
　もう我慢できず、たまたま目についたマクドナルドに入った。
　店内の二階で一息ついていると、四、五歳くらいの女の子がひとりでとことこと走ってきて、ちょこんと隣の席に座った。
　注文の列に並んだ母親が、「○○ちゃん、さきに行って席を取っといて」と言ったのであろう。よく目にする光景である。
　女の子はひとまず席を確保するや、突然、話しかけてきた。
「おじさん、なに飲んでるの」
　びっくりした。こういう形で女の子に話しかけられるなど、初めての経験である。
「アイスコーヒーだよ」
「おいしいの」
「う、うん。暑くて、のどが渇いたからね」
「おじさん、どうしてひとりなの。お友達、いないの」
　つぶらな瞳で、いかにも不思議そうに問う。
　一瞬、返答に窮した。
　続いて、笑いがこみ上げてくる。
　幼い女の子にとって、マクドナルドは親か、友達とその親など、つねに多人数で入る場所なのだ。ひとりでマクドナルドにいる人間など、不思議に思えたのであろう。
　筆者は、ありのままに答えた。
「そうねぇ、おじさんはどっちかというと、人に嫌われるほうだから、友達は少ないなぁ」
「○○ちゃん、お友達たくさんいるよ」
「そお、いいなあ」
　女の子はおじさん、おじさんと言いながら、次々とこちらが予想もしないような手厳しい質問を投げかけてくる。筆者はそれに対し、内心「うーん」とうなりながら、相手が理解できるような表現で懸命に答えた。
　じつに人なつっこい、愛くるしい子である。
　筆者は質問攻めには閉口しながらも、ほのぼのとした気分だった。女の子との会話は楽しかった。
　母親がハンバーガーや飲み物を満載した盆を持って、階段を上がってきた。娘が男と隣り合って話をしているのを見るや、その表情が一変した。
「○○ちゃん、こっちにいらっしゃい」
　きびしい声だった。
　女の子は筆者に向かい、
「バイバイ」
　と手を振ったあと、母親のほうに駆け出す。
「じゃあね」
　と、筆者も満面の笑みで手を振ったが、母親と女の子が遠くの席に着くのを見ながら、ちょっと気が重くなった。
　怪しいロリコン男と間違われたのは確実である。
「○○ちゃん、ああいう男の人が話しかけてきても、返事しては駄目よ。誘われても、絶対についていっては駄目だからね。怖いのよぉ」
　などと、母親は筆者のような男に用心すべきことを懇々と言い聞かせたであろう。
　かくして、筆者ははからずもロリコン男警戒の教材となったのであるが、近年、幼い女の子が被害を受ける痛ましい事件が相次いでいることを考えると、母親の過剰反応を責めることはできない。無理はないと思う。
　それはともかく、筆者が女の子と話をしたのは、ほんの数分間だったであろう。猛暑の夏の白昼夢のような気がしないでもない。それくらい楽しい数分間だった。
　いま思い出しても、幸せな気分にひたることができる。欧米の映画などに、天使のように純真無垢な女の子と偏屈な老人が他愛のない、それでいて心温まる会話を交わす、なんとなく胸の奥がジーンと熱くなってくる場面がよくある。まさに、それが現実におこったのだ。
　あの可愛さ……、「食べてしまいたいほど可愛い」、「目のなかに入れても痛くない」という形容がすんなり理解できるほど、可愛い女の子だった。
　ふと、想像した。妄想といってもよかろう――。

　たまたま車で外出中、可愛い女の子が炎天下にひとりでいる。
「お母さんは？」
「ママはパチンコしているの」
　筆者は、無責任な母親に怒りを覚えると同時に、女の子がかわいそうになった。それにしても、愛くるしい子である。
「○○ちゃん、のど、かわいた」
「おじさんがマクドナルドでジュース飲ませてあげようか」
「うん」
　女の子は顔を輝かせた。
　もちろん、筆者にためらいはあったが、あまりに女の子が可愛かった。パチンコをしているのであれば、母親は少なくとも三十分くらいは戻ってこないであろう。車で近くのマクドナルドに行き、ジュースを買って戻ってくればすぐである。
「じゃあ、一緒に行こうか」
　筆者は、女の子を助手席に乗せた。
　けっして性的な劣情があったわけではない。ちょっとのあいだ、女の子とドライブを楽しみ、他愛ない会話をしたかっただけなのだ。
　筆者が車を走らせたあと、母親がパチンコ屋から出てきた。娘はいない。たまたま、男が車に乗せて走り去ったのを目撃していた人がいた。
「大変、誘拐だ」
　通報を受けた警察は、ただちに緊急配備を敷く。
　女の子を乗せて車を走らせていた筆者は、パトカーに停車を命じられ、幼児誘拐未遂の現行犯で逮捕された。
　筆者にはけっして性的な意図はなかった。軽率だったのは認める。しかし、ちょっとの間、可愛い女の子と一緒にいたかっただけなのだ。
　だが、この事件は、新聞やテレビのニュースなどで実名入りで報道され、筆者は家庭も職場も、すべてを失った……。

　さて、「幼児誘拐未遂事件」はあとを絶たない。性的な目的がある場合は論外であり、厳罰に処せられるべきであろう。しかし、なかには、上記したような、「あまりに可愛くて、しばらく一緒にいたかった」という事例もあるのではなかろうか。
　もちろん、筆者は「幼児誘拐未遂事件」の被疑者を弁護しているわけではない。警察の逮捕やマスコミの報道も当然だと思う。だが、あえて言いたい。なかには、ちょっとした軽率が誤解を招き、重大事件になってしまった例もあるのではなかろうか、と。
　誤解が解けると、警察は身柄を釈放するであろう。しかし、マスコミの報道が人々に植え付けた印象は消せない。