『官能小説用語表現辞典』(永田守弘編、筑摩書房)という本がある。
労作である。奇書と言ってもいいかもしれない。
目次を紹介しよう。
・女性器
陰部
クリトリス
陰唇
膣
陰毛
愛液
乳首・乳房
尻
肛門
・男性器
ペニス
陰嚢
精液
・声
・オノマトペ
・絶頂表現
これらの分類のもと、663冊の官能小説から約2300語の用語と用例を抜き出し、示している。
用語のほんの一部を紹介すると、
「女性器の陰部」は、
淫花、淫処、おんなの花園、うるみの壺……
「クリトリス」は、
愛らしい肉粒、朱い尖塔、羞しい芽、女の蕾……
「陰唇」は、
合わさった花びら、暗黒色の蝶、恥裂、淡紅色がかったびらつき……
「膣」は、
紅い洞、うねくる蛸、熟れた内奥、谷底のすぼまり……
「陰毛」は、
淡い藻くず、薄絹、黒い草むら、羞恥の茂み……
「愛液」は、
愛涎、喘ぎ汁、甘い露、甘蜜、潤い水、熱くトロトロしたヌメリ……
「乳首・乳房」は、
紅い実、大粒のサクランボ、桜色の頂き、円錐、ゆさゆさと揺れるふくらみ……
「尻」は、
白く輝く大きな桃、白桃、双丘の肉……
「肛門」は、
肉輪の芯、くすんだ色のうしろの部分、裏の小さな花弁、紫苑色のすぼまり……
などなどであり、壮観といおうか、圧倒されるといおうか。
じつに多彩かつ豊潤な用語が作者によって創造されている。
いわゆる「純文学」よりも官能小説のほうがはるかに文章表現に精魂がこめられていると言っても過言ではあるまい。
編者の永田氏によると、この背景には猥褻取締りをめぐって警察と出版社・作者の攻防があったという。
1945年(昭和20年)の太平洋戦争の敗戦により、言論統制はいちおうなくなった。しかし、性表現に関してだけはきびしい規制が残った。
時期によっては、「挿入」や「入れる」という表現があるだけで作者や出版社は警察の呼び出しを受けたという。
このため、警察に猥褻物と見られるのを避けるため、「挿入」や「入れる」を使わないで性交を暗示する表現のくふうがなされた。たとえば、「体を重ねた」などなど。
女性器の各部の表現に関しても同様である。
たとえば「クリトリス」は使えないので、「愛の突起」などと表現した。
官能小説(かつてはエロ小説、ポルノ小説と呼んだ)では、いわゆる「便所の落書き」のような露骨表現をすれば、たちどころに警察の呼び出しをくってしまう。
いっぽうで、できるかぎり猥褻で淫蕩なシーンを書かなければ官能小説として成立しない。
そのために作者は頭をしぼり、表現に苦心惨憺した。
ぼかしながらも、読者の淫心をそそるにはどう書けばよいか。まさに作者は苦吟したのである。
この結果、わが国の官能小説の性表現は多彩かつ豊潤になった。
現在ではかつてのような性表現の規制はないが、官能小説の性表現の多彩さ、豊潤さの伝統はいまも続いている、と。
じつに卓見である。
なお、同書の永田氏の「あとがき」がいい。
官能小説を題材にしながら、すぐれた文章論になっている。
最後に、同書から「オノマトペ」をいくつか紹介しよう。これは江戸の春本・春画との比較もあって、筆者はじつに興味深かった。
グシュニュリムチュグチュ
ぐちゅんぐちゅん
しゅにしゅにしゅに
ずにゅっずにゅっ
ぬぷ
ひっこひっこひっこ、くいっくいっくいっ
ヌルヌル、ビチョビチョ
できれば、音読してほしい。
ともあれ正月早々、相変わらずのエロ話になってしまったようである。